庭から眺める行徳汐浜
雨天がつづき、外現場が進まないジメリとした時季になってきましたね。
今回は海にまつわる物件をご紹介します。
現場は千葉県市川市のお宅。
庭にある井戸の周りで何かできないかと、四代つづく大屋工務店さんからご相談いただきました。
ガーデニングの水やりでいまも使用されているこの井戸はなんと、明治から現存しているそうです。
「昔の行徳(市川市南東地域)からは東京湾が一望できたんだよ。」
懐かしみながら資料や写真を見せてくださる三代目大屋さん。
ブロック塀のある方角が挿絵の光景と重なるとのことで、江戸時代の、千葉県となる前の千葉を鏝絵で再現することになりました。
提出したデザイン図。
お庭と、新たに設る井戸屋形が英国風のため、鏝絵も寄せることにしました。
まずはブロック塀からとりかかります。
白モルタルでキャンバスを塗ってくれたのはカトウさん。
近年では技能五輪の指導にも力を入れている頼れる職人です。
鏝絵を担当するのはデザイン図を描いたタニさん。
四代目大屋さんに見守られながら盛りつけてゆきます。
井戸屋形からの見え方を考慮し水平線の高さを決め、濃淡をつけて波立たせます。
鏝絵といえば通常漆喰で描くものですが、雨ざらし屋外のため今回は造形用セメントを採用しました。
漆喰より骨材が大きいので、飛沫や反射がそれっぽく見えるのではないでしょうか。
退色を見込んで全体的に彩度高めで進めます。
いまで言う木更津、姉崎、幕張、船橋…と遠くに見える土地はグリーンで。
行徳は内海で、波は静か、浜辺は平坦で広く、塩造りには最適な地形をしています。
資料によると、家康は入府して間もなく行徳への道を確保し、塩田を保護したのだとか。
流通の要であったはずの道は、赤み多めのベージュで存在感を出しました。
資料の挿絵はモノクロだったため、推測と壁画としての見栄えを踏まえてカラーリングしています。
忘れちゃならない塩田と土手下の集落。
塩田は四角く区分けされ、ところどころ盛られた小山からは煙が上がっています。
塩は年貢として納めていたと記述されていたので、行徳にとっては必要不可欠だったのでしょう。
空のパタパタ塗装を終えたあたりで大屋さんのお客さんがお見えに。
さすが地元民、「塩田もある!」と初見で見抜いてくださいました。
空部分アップ。キャンバスは研ぎ出しにしてみました。
公園の遊具でも用いている配合で、子どもが触れても安心の肌触りです。
後世へ残し、伝える。
庭から眺める行徳汐浜、完成です。
土間の石畳造形と気になる井戸屋形は別記事でご紹介します。
↓後編『大工鍛冶左官で対戦してきました。』はこちらです。
https://www.yawata-sakan.com/blog/23222