東京に残るジョサイア・コンドルの逸品
齋藤、本日は歴史的建築の見学会に行ってまいりました。
昨年から仲間入りさせていただいている「ちくらの会」。
3人の女性 設計士さんが主催する楽しい勉強会です。
○建物概要
1917年(大正6年)竣工 武蔵野台地の地形を活かし、
小高い丘の上につくられた洋館。
洋館は陸奥宗光の次男潤吉が古河家の養子となり、
後に譲り受けた地に、古河虎之介の本邸として竣工。
山小屋風の外観、コテージ風の屋根、落ちついた印象の赤紫色の
外壁が軽快な印象を与える。
また、見る位置により外観の印象が異なることも見所。
斜面の庭園の洋と和の変化も見所。(東京人2002年より抜粋編集)
今日は会の仲間9人と、当日参加の女性2人と、(うち7人が女性建築家!!)
さながら女子会に男性2人が飛び入りした感じ。
事前に申し込みしてあったので、ガイドさんの説明付きでたっぷり1時間
ほぼすべてのお部屋を見学させていただきました。
残念ながら内部の撮影はできないので、見学で 「スゲ?」 と思ったポイントを文章にてご紹介します。
「スゲ?」 1.
設計したのはジョサイア・コンドル 今はなきまぼろしの「鹿鳴館」を設計した歴史上の偉人。
25歳でイギリスからお抱え技師として来日、最後まで日本を離れず日本でなくなった。
そのコンドル、64歳晩年の代表的作品。で、見学できる数少ない建築!
「スゲ?」 2.
依頼者は、古河財閥の3代目。400坪もの広大なお屋敷に暮らしたのはたった3人。
3人の家族に対し、お付きの人はなんと50人近くいたとのこと。
しかも、完成後ここで暮らしたのは9年。
「スゲ?」 3.
終戦後、イギリス軍の接収から解放されるも・・・
その後、30年間住む人もなく 『おばけ屋敷』 だった!
ツタが絡まる当時(昭和50年ころ)の写真飾ってありましたが、
外壁に蔓延った蔦はガラスを破り、雨風を室内に運び
その被害は、かなりひどい状態であったとのこと。
「スゲ?」 4.
補修工事は難航を極めたようですが、すばらしい名工の力で6年かけて現在の姿に復元。
以降、東京都が国から無償で借り受け一般公開となる。
100年前の照明器具、シャンデリア、鏡、・・・と垂涎の逸品だらけだが、
なかでも1階大食堂の 「天井の漆喰彫刻」?は必見です。
もも、びわ、いちじく、ざくろ、と国産フルーツ山盛りの飾りの精巧な造形美は目をひきます。
説明係りの坪井マネージャーさんによると、修復時、汚れていたフルーツを洗い、
確認した職人さんがひとつも剥がれたり壊れていないのに驚いたとのこと。
やっぱり「漆喰の再石灰化」 パワーは100年の歴史で実証されたのだ!?と感心。
窓のそとから撮った写真。
ここはビリヤード室。
特注!? の、ビリヤード台の重量に耐えられるように、
台の8本の足が基礎から伸びた材の上に乗せた大理石のベースに支えられている??
「スゲ?」 5.
西洋室のドアを開けたら、なんと和室があったのだ!
壁は大津磨きのピッカピカの土壁。
・・・と
もっともっと たくさん 「スゲ?」 満載のすばらしい洋館。
住んでみたいけど、実は暖房が大変だったとか・・・。
ホント室内なのに 「めっちゃ寒い!!!!」 ので、(係りの人も言っていましたが)
この季節の見学はしっかり厚着して万全の防寒対策で臨んでいただくことをおすすめします。
以上、もっとゆっくり建築女子会ガールズトークにも参加したかった
左官屋さん営業・サイトウのレポートでした。